1.定年後に自分の「居場所」が無くなることの恐怖
ブログテーマである定年後の「お金」や「娯楽」はどちらも大切だ。
しかし、ベストセラー「定年後」の著者である楠木新さんによると、これら以上に大切なものは自分の「居場所」だという。
私自身、50代にはなっているが、実際に定年後の生活を経験したことが無いので、定年後に自分の「居場所」が無くなることがどれくらい問題なのかピンと来ないところがある。
ただ、「定年後」や他の定年関連本やウェブコンテンツを調べると、自分の「居場所」が無くなることの怖さが何となくわかってきた気がする。
例えば、定年後のリアリティを示すためのエピソードとして、以下の様なケースが取り上げられている。
- 定年後はある程度の年齢なので、朝は割と早く目覚めるが、することが無いので、二度寝をしてしまうことがある。
- 定年直後の1か月くらいは自由と解放感を満喫できたが、その後はやることが無くなり本当に辛かった。ほとんどすることがなく半年間も家に引き籠りがちになると、テレビの前から立ち上がれない状態に陥った。
- 定年直前は会社関係者や取引先との送別会の予定がギッシリ詰まっていたが、定年後は会食関係の予定は一気に減り、仕事も無いので、スケジュールがどんどん無くなっていった。このため、手帳がスカスカになり、手帳を使わなくなった。こういう状態がしばらく続くと、曜日の感覚がつかめなくなっていった。
- 定年後は、名刺が無くなるという形式的な寂しさを感じたが、自分の名前すら呼ばれることが無くなる(家では「おとうさん」と呼ばれるし、図書館、スポーツジム、喫茶店では名前も知らない一顧客に過ぎない。)。そうなると、アイデンティティの喪失感すら生じてしまう。
定年前の段階では、定年直後の「自由」「解放感」「好きなことができる」というポジティブな面も見え、長期旅行や趣味のことを想像したりする。しかし、そこから1か月、2か月、半年とその生活が続くことまで想像していないことに気が付いた。考えてみれば、私自身もそうであるが、日本の大企業のサラリーマンの場合、9日間(土日を挟んだ5営業日)の休暇がMAXで、40年間で2週間以上会社を離れたことがない人が大半なのではないだろうか?
そういうことを考えると、仕事から離れる期間が数か月、数年間と続いて行くのは恐怖でもあり、何らかの「居場所」が無いとマズいということが少しわかった気がする。
2.男性×東京(大都市圏)の場合は特に注意が必要
楠木新さんの名著「定年後」によると、定年後の自分の「居場所」問題は、特に男性や東京等の大都市圏在住者にとっては要注意という。
まず、何故「男性」がヤバイのかというと、女性の会社員の場合は現役時代から家事、子育てに追われたり、買い物・ファッションへの関心があったり、女性のコミュ力の高さ等から、リタイア後も自分の「居場所」を見付けやすいという。視野や交流範囲が男性よりも一般的に広いということなのだろうか。
次に、東京(大都市圏)在住の場合は、地方在住の場合と異なり、農作業、消防団、地元の自治会といった「居場所」が少ないことが多いからである。地方の場合は、都市部よりも少子高齢化が進んでいて、定年後の60代は相対的に「若手」ということになるそうだ。このため、あちこちのコミュニティからお声がかかり、「居場所」探しで悩むリスクは相対的に低いとのことである。
そういう訳で、男性×東京(大都市圏)在住のサラリーマンは、より真剣に定年後の自分の「居場所」を定年準備の一環として考えておくことが重要だと思われる。
3.定年後の自分の「居場所」の見付け方
ひとり起業
私の場合、定年後のサラリーマンの「居場所」としては、これが最高なのではないかと思っている。前述の「定年後」においても、定年後に輝いている人の例として、自分で事業をしている人が多く紹介されている。
もちろん、何十年もサラリーマンしかやってこなかった人が、起業を定年後に始めても上手くいくわけもなく、ここでいう起業というのは、借入もオフィスも従業員も在庫も不要な、こじんまりとした「ひとり起業」である。その多くは、ブログやSNSを使って、自分の特技を売り込むようなビジネスだろうか。また、集客までも行かなくても、そこそこのPVやフォロワーを集めることが出来れば、アドセンス、アフィリエイト、noteの販売等でも構わない。月に数万円程度稼げて、それを趣味・娯楽に充てることが出来れば十分である。定年後においては、稼がないとダメだというプレッシャーは不要である。自己満足できれば十分なのだ。
何故「ひとり起業」がいいかというと、オフィス探し(月に2-3万円程度のシェアオフィス)、集客(ブログ、YouTube、SNS等の情報発信)、プロダクト(自分の手掛けるサービス或いはEC)、価格設定、オペレーション/ロジ周り(セミナー会場や対面コンサルの手配等)まで全て自分でやるのである。やることはいくらでもあり、退屈しない。
また、小さな老後のお小遣い稼ぎ程度の「ひとり起業」でも、自分の創意工夫や経験値によって成果である「売上」を増やすことが可能である。少しずつでも売上が増えていくと、それは全て自分の成果なので、サラリーマン時代とは異なる達成感が得られるだろう。
さらに、「ひとり起業」を継続できると、その過程で、いろんなクライアント、同業者、サービスプロバイダー、メンターとも知り合うことができ、新たな人脈を構築することもできる。
とにかく、社会との接点が無くなりがちな定年後に置いて、「ひとり起業」はそれを簡単に払拭できるパワーがあるのである。
サラリーマン時代の業務と関連性のある仕事に就く
私の場合は「ひとり起業」が最高だと思うのだが、人によっては、今更「ひとり起業」なんて面倒くさいと考える人もいるだろう。
そういう場合は、サラリーマンというか、被用者の立場を続けることを目指せばいいのだが、60歳を超えると職探しは非常に難しくなる。
そこで、何らかの専門性があれば、「顧問」という非常勤的なポジションを探してみるという選択肢もある。
また、職探しも求人メディアを通じては難しいので、サラリーマン時代のツテを頼る方が確立は高そうである。
全く新しい仕事に就く
これも「定年後」において、イキイキしている元サラリーマンの例として挙げられていることが多い。
例えば、総合商社マンから作家になるとか、鉄鋼会社から蕎麦打ち職人になったとか、金融マンから農家になったとか、マスコミから落語家になったとか、通信会社の社員から提灯職人になったというケースである。
ただ、サラリーマン時代の業種・職種と全く関連性の無い職種に、未経験で就くのは大変なので、相応の準備が必要となる。単なる気まぐれでは雇ってもらえないし、ちょっとお試しして短期間で「やっぱり止めた」というわけには行かない。
このため、真剣に全く新しい仕事に就きたいのであれば、遅くとも、50代のうちに準備を始める必要がありそうだ。
非営利系の組織に属する
定年後も自分の「居場所」を見付けて輝いている人は、何らかのビジネスに従事している人とは限らない。
非営利系の組織に属したり、自らNPO組織を起ち上げたりして、充実した定年後を送っている人達もいる。
例えば、子供に野球やサッカーを教えたり、子供食堂の運営を手伝ったり、無償で子供に勉強を教える教育NPOで教えたりといったものである。
特別な特技が無くとも、サラリーマン時代の技能を活かして、NPO法人の経理や事務の手伝いをするという人もいる。
この手のNPO系関連業務への参画は、子供や若い人達と接することが多いので、エネルギーを与えられるというポジティブな面があるそうだ。
他にも、いろいろな定年後の自分の「居場所」はあるはずなので、50代のうちから定年準備の一環として、探し始めたい。特に、「役職定年」に達したら、「閑職」となることを逆手に取って、定年後の「居場所」探しを加速してもいいのではないだろうか?