定年後に本当にやりたいことをリストアップできるか?
定年後は、自分がやりたいことを自由にできる貴重な期間である。
しかし、「定年後にやりたいことを今すぐにリストアップしろ」と言われた場合、やりたいことは思い浮かぶだろうか?
よくある「メモで希望が叶う」系の自己啓発本には、自分の夢や希望を書き出してみろという様なことが書かれている。私もその手の本とかブログ記事を見て、やってみようと思ったのだが、これといったものが浮かんで来なかった。
そこで、自分が子供、学生時代の原体験に潜在的な自分の願望が潜んでいるかも知れないと考え、当時の記憶を辿ってみたいと思った。
昭和・80年代の記憶喚起の目的で国会図書館に行ってみた
自分の学生時代の記憶を喚起するには、具体的にどうすればいいか?
いろいろな方法があるのだろうが、私が思い浮かんだのは、当時の「雑誌」を読んでみることである。
私の場合、もっとも夢いっぱいだった時代は中学生から高校生の時だった記憶があり、それは昭和の時代、特に80年代だったと思う。
本来は主として大学生向けだったと思われる、「ホットドッグ・プレス」とか「ポパイ」が愛読書であった。内容は、ファッション、音楽、クルマ、レジャー、モノ、モテ等を扱った大学生と若手社会人向けのファッション誌である。
30年位前の雑誌なので、入手は困難だろうし、特定の号を読みたい訳では無いので、私は、国会図書館に行って、そこで閲覧しようと考えたのである。国会図書館にはありとあらゆる出版物が保存されており、大昔の雑誌も、4~5冊まとめてファイルに収納されており、1回の申請で10冊くらいまで閲覧可能なのである。(但し、写真を撮ることが許されていないので、その点は不便である。)
ホットドッグ・プレスを20冊読んで、思い出した80年代とは?
2025年5月のある日、私は国会図書館を訪問し、予定居通り「ホットドッグ・プレス」を20冊くらい閲覧することが出来た。
国会図書館の館内には、カフェや食堂もあるので、昼食を挟んで、じっくりと閲覧ができるのである。
ちなみに、私が閲覧したのは1981年の7~8月、1982年の7~10月、1987年の5~6月の合計16冊である。このあたりは当然細かな記憶はなく、ランダムに閲覧しただけである。
写真を紹介できるとわかりやすいのだが、残念ながら写真撮影はNGなので、80年代の流行等についてまとめると、以下の感じである。
(服・ファッション)
BIGI、Nicole、コムデギャルソン、コムサデモードといったDCブランドの全盛期である。
また、ブルックス・ブラザーズとかも人気があったようだ。当時4~5万位と、決して安くは無かったが、BIGIのスタジャンを着るのがお洒落な高校生とか大学生の憧れだった時代であった。
(クルマ)
80年代もクルマについては、日本が最強だけあって、ファッション誌にも関わらず、クルマに関する記事や広告の割合が高いのが意外であった。
当時の若者の憧れのクルマは、トヨタの「ソアラ」であった。2.8リットル、170馬力、10モード燃費8.9Kというスペックがどんなものかはよくわからないが、とにかく、国産車の中ではダントツ高額で、私も運転免許も持ってなかったにも関わらず、「将来はソアラに乗れるようになりたい」と思った記憶がある。
あと、スカイラインは2000RS、マツダのRX-7、三菱のスタリオン、ISUZUのピアッツァ、ホンダのプレリュードが若者に人気のスポーツカーだったようだ。
なお、外車については、BMWを普通の人が狙えるようになったのは、1986年のバブル期以降だったと思う。80年代でも前半はドル円為替も200円台という時代であり、ある意味、無理して外車で見栄を張る必要は無かった時代である。ただ、私が記憶に残っているのは、80年代の前半だろうか、ベンツの190Eというコンパクトなベンツが登場して、それに憧れていた記憶がある。確か価格は650万円位したかと思う。
それから、今はあって、当時はほとんど流行ってないものが機械式の時計である。
80年代はクォーツ全盛期であり、機械式の舶来時計に憧れるという時代ではなかった。
広告を見ると、セイコーのALBAとか1万円前後であり、時計で見栄を張ることは考える必要が無い時代であった。今はIWCのちょっといいモデルが200万円近いので、この点は80年代の方が良かったかも知れない。
(音楽)
80年代は非常に良い音楽に恵まれた時代であったと思う。
マイケル・ジャクソン、U2、ABBA、デュラン・デュラン、ポリス、ジャーニー、他、とても書き切れないが、当時として新しい音楽が次々と出て来た時代であった。
国内でも、YMOとか、今の若い人は知らないかも知れないが、高中正義、カシオペア、スクエアといった「フュージョン」というカテゴリーが人気の時代であった。
時間が出来たら、邦楽・洋楽、ロック・フュージョン問わず、自分の好きな80年代の音楽をランダムに編集してみたいと思う。
この手の音楽、今の若い人が聞くとどう感じるのかなあ?
(遊び)
遊びについては、意外と昔も今も変わらないところがある。
夏休みには、信州でテニス、冬は斑尾でスキーといった特集があった。
また、近場だけではなく、石垣島でキャンプとか、屋久島でトレッキングという特集もある。
80年代はテニスブームだったのか、当時の大テニスプレーヤーであったボルグやマッケンローの連載記事とかがあった。海外も高嶺の花ということは無かったようで、グアム、ハワイ、イタリア、そして、何故かマニアックなニューヨークのナンタケット島(それ何?)の特集記事とかもあった。
あと、夜の遊び場として、「ディスコ」(今のクラブ)があった。六本木のNIRVANAという店とかが紹介されていた。マハラジャが出て来るのは80年代でも後半だったような気がする。
今と比べて選択肢が少ないかなと思ったのは、「食」である。当時はミシュランとかは当然無く、グルメを楽しめるのは圧倒的に現代であると感じられた。「ホットドッグ・プレス」の読者層が頑張って彼女と行くレストランとして、クイーン・アリス(広尾)やメイン(鎌倉)あたりが紹介されていた。
(モノ)
ここで私が言いたい「モノ」とは、今でいう「ガジェット」「電化製品」のイメージである。
当時はスマホはおろか、ガラケーすらない。紙面を賑わす最先端の電化製品は、ソニーのウォークマンである。広告を見ると、価格は29,800円でそれなりの値段だったようだ。あと、今の若い人が見ると笑ってしまうかも知れないが、持ち運びできるテレビも当時は最先端のモノだった。ただ、当時の価格が10万円前後であり、画面は今のスマホくらいの大きさの凄い機械であった。あと、ラジカセとかミニコンポ(小型の音響機器)あたりが若者が欲しがる電化製品であった。
(余談:読者のページ)
余談であるが、今も昔も雑誌には「読者のページ」的なスペースがあり、読者が様々な投稿をする。結構面白いと私は感じたので、2つほど紹介したい。
1つは、東急大井町線に出没する、説教オジサンの話である。このオジサンは、車内で「足を拡げて座っている」若い女性を見つけると注意をするのだという。1人見つけて注意すると、次に隣の車両に移っては、「足を拡げるな、はしたない!」と注意をしてまわるそうである。
もう1つは、四街道市(「よつかいどうし」:千葉の郊外)にも貸しレコード屋が出来て嬉しいという投稿である。ここには2つのポイントがある。1つは80年代後半の土地高騰を受けて、マイホームの場所がどんどん都心から遠くなり、郊外に拡がっていったということである。四街道は驚くほど遠いという訳ではなく、バブル期にはもっともっと遠くの住宅地から通勤していたサラリーマンも珍しく無かったそうだ。2つめのポイントは「貸しレコード屋」である。CDすら見たことのない若者からは何のことか訳がわからないかも知れないが、当時はレコードが2500~3000円と決して安くなかったので、「貸しレコード屋」で1枚300円位でレンタルして、それを自宅でカセットテープに録音して、それを聞いていたのだ。
今、50代のサラリーマンだとピンと来ると思うが、当時はそんな時代であったのである。
結局、80年代の雑誌を見て、やり残したことは見つかったのか?
結論的には、国会図書館まで行って、当時の思い出のホットドッグ・プレスを20冊くらい読んだにも関わらず、特に大きな「やり残し」は見つからなかった。
それは、いい意味では、今までの人生でそれなりに達成できたからかも知れない。
例えば、当時はクルマがステータスシンボルの時代であったが、私が中学生?の頃の憧れのベンツ190Eに相当しそうな、Cクラスを買ってしまったからだ。もちろん、40年?位前の600万円台のベンツと、今700~800万円代のCクラスの価値が同じでは無いが、それである程度の達成感を持ってしまったようだ。物欲も生きる上でのモチベーションなので、ここから、「ひとり起業」で成功して経費でフェラーリとかポルシェを買おうというパワーがあればいいのだが、そこまでのやる気は残念ながら無いかも知れない。
また、「食」についても当時は無かったようなミシュラン☆付きレストランや高級寿司店にはたまに行けたりしている。
「モノ」については、そもそも当時の人気商品、ウォークマンとか携帯テレビとか、そんなものは無いので、今欲しいものは無い。
とは言え、凄く大きくは無くとも、定年後にやってみたいことのヒントは得られた。
例えば、1つは「ファッション」である。中年男性は基本的に服に興味が無く、私も例外では無いが、サラリーマンを辞めたあとこそ、ピリッとした格好をするのも悪くないと思う。
80年代は日本のデザイナーが世界を席巻していた時代であったが、自分は大したお洒落をしていないので、定年後、ちょっとぐらい良い服、高級靴(ジョンロブ、ベルルッティ?)、機械式時計(ショパール、IWC?)あたりを買うのも悪くないかも知れない。
それから、旅行については、行くべきところがまだまだ残っている。
80年代でも、石垣島、屋久島、信州でオートキャンプとか普通にあったので、私の場合は、ちょっと贅沢で日数も要る、知床や宮古島とか、九州一周、四国一周等、計画を立てて、定年後に実現してみたい。
また、良いヒントになったのは80年代の音楽である。
このあたりは、曲単位で入手し易い時代になったので、洋楽・邦楽、ロック・フュージョン・歌謡曲問わず、当時のお気に入りの曲をランダムに編集してみたい。
今回の、昭和・80年代を振り返って気付いたこと
今回、80年代の中学・高校時代を振り返って、やり残したことは特に見当たらなかった。
しかし、今では普通だが、当時は全く存在しなかったモノのありがたみに気がついた。
それは、ネットの世界であり、ネットはコミュニケーション、エンタメ、ビジネス、生活の基盤となっている。
そして、ビジネスについては、個人でも大きな力をネットは発揮してくれるということである。ネットの時代まで生きられたことは有難いことであり、その効用を最大限享受しないと勿体ないと私は感じた。
そうすると、通信やエンタメのツールだけではなく、情報の発信側に立ち、それでビジネスを展開すべきだと再認識した。
これは、まさに私が定年後に向けてやろうとしている「ひとり起業」であり、それを進める上で、今回の経験は非常に良いモチベーションとなった。
今の60代はまだまだ元気であり、優秀で余力のある定年後のサラリーマンは、元手の要らない「ひとり起業」に挑戦してみてはどうだろうか?
私はまだ準備中であり、成功した訳でも無いので偉そうなことは言えないが、定年後にネットビジネスに挑戦するのは悪くないと思う。
次は90年代?
役に立つとか立たないとか、モチベーションになるかどうかはわからないが、昔の若い頃の記憶をたどるのは面白い。やはり、何らかの発見がある。
そういう訳で、次回は90年代の雑誌を見てみることで、何か新たな気付きを発見したいと思う。
具体的には、Gainer(ゲイナー)という雑誌があるので、それのバックナンバーを見に、再び国会図書館を訪問したいと思う。
https://www.fujisan.co.jp/product/693/