1.何故「定年後」が大切か?
「終わりよければ全て良し」
「定年後」と言うと、寂しい印象を持たれるかも知れない。
しかし、人生における「定年後」は決して軽視できないはずである。
何故なら、人生における最終段階であるので、「終わりよければ全て良し」ということで、ここを充実したものに出来れば、人生全体を輝かせることが出来得るからである。
「定年」によって、それまでの長いサラリーマン生活は一旦リセットされる
また、「定年」によって、それまでの約40年の長い長いサラリーマン人生がリセットされるという点も重要である。輝かしいサラリーマン人生を送り、最後は執行役員クラスまで出世できたエリートであっても、定年を迎えると、全くのゼロになってしまう。年収も肩書も失い、会社関係者との繋がりも途絶えてしまう。その意味で、出世したサラリーマン程、定年後とのギャップが大きく、適切な定年準備をしておかないと、寂しい定年後に陥るリスクが高いかも知れない。
他方、頑張っていても何故か出世とか配属に恵まれず、自分としては不本意なサラリーマン生活だったとしても、定年によって、またゼロからのスタートとなるので、それまでに存在したエリート同期との差は消えてしまう。
このように、定年後はそれまでのサラリーマン時代の成功体験も失敗体験もリセットされるので、輝かしい現役時代を過ごした人は、その反動で寂しい定年後に留意する必要があるし、逆に、不本意な現役時代を過ごした人は、十分な定年準備をすることによって輝かしい定年後を送ることも可能なのである。
定年後はセミFIRE?「嫌なことはやらなくていい」という恵まれたステージ
現役時には、「FIRE」と聞くと、羨ましいと感じたサラリーマンは少なくないだろう。
嫌な仕事をやらなくて、自由に生きることができるからである。
しかし、定年後は、「RETIRE EARLY」ではないので、「FIRE」とは呼ばないが、ただ、働かなくてもある程度の生活ができるという、「FI」、Financial Independenceは確保されるわけなので、「FIRE」の良い部分は享受できるはずだ。
「FI」、「Financial Independence」の意義をどう捉えるかが重要なのだが、単に「自由」という側面だけを見ると、「暇」「やることがない」「張り合いがない」といったネガティブな方面に陥るリスクもある。
しかし、この「自由」を「嫌なことをやらなくていい」と捉えることが出来ると、幸福感が全然違ってくる。現役サラリーマン時代、嫌なことをやらなければならないのは、生活のために働かなくてはいけないからである。ところが、定年後はこの呪縛から逃れることができるので、もう嫌なことは我慢しなくてもいいのである。この有難みは十分意識した方がいいだろう。
朝、満員電車に乗る必要は無く、新聞を見るなり、ウェブコンテンツを見るなりしながら、自宅でもカフェでも、ゆっくりと朝食を取ることができる。その後も、ダルい定例会議も無いし、予算の詰めも無く、自由な午前中を過ごすことが出来る。ランチも時間を気にすることが無いので、ランチ難民に陥ることなく、好きなタイミングで自宅でも外食でも自由にできる。お酒が好きなら、ランチ酒もOKである。午後も嫌な仕事、気乗りが仕事の拘束は無く、働きたい仕事(バイトでも自分自身の仕事でもOK)をして、自由に過ごせばいい。バイトとか自分の仕事でも、やりたくないと思えば辞めても問題が無い。そして、夜も気疲れする接待も無いし、帰りの満員電車も無い。
こう考えると、定年後は非常に恵まれた期間なので、しっかりと準備をして、充実した日々を送れるようにしないと、もったいないだろう。
年金+αでOKの気楽さ
「生まれ変わったらサラリーマンなんてやりたくない!」といった意見もあるが、実は、老後については、サラリーマンは自営業者よりも恵まれている点は結構多い。
何といっても、結構まとまった額の退職金がある。
大企業であれば、2千万~3千万円くらいの水準はあるだろう。
加えて、企業年金もある。
そして、定年後は現役時代と比べて、支出もそれなりに減るだろうから(子供の教育費、住宅ローンからの解放、スーツ等の被服代、交際費等)、年金+αの収入があれば、それなりの娯楽を楽しむ余裕はあるはずだ。
その意味では、後述するが、定年後は如何にして、その「+α」を得るかがカギと言えなくもない。もっとも、それほど多額の金額を稼ぐ必要は無いのでお気楽な立場にあり、バイトでも「ひとり起業」でも、とりあえずやってみて、嫌なら辞めればいいのである。
そういうわけで、ちょっとした準備と工夫で、楽しんで+αのお金を稼ぐことができれば、更に定年後を充実したものにすることが可能なのだ。
2.定年後、人生を変えるには?
定年後は、働く必要が無く、基本的な生活費は年金があるので、人生を大きく変える自由がある。
どうやって人生を変えるのだという点については、大前研一さんの「人生を変える三つの方法」が参考になる。
https://president.jp/articles/-/17083?page=1
詳しくは、上のリンク先の記事とか、他の記事を読んでいただきたいのだが、人生を大きく変えるには、「時間配分」、「住む場所」、「付き合う人」を変えればいいという話である。
まず、「時間配分」については、定年によって自動的に大きく変わる。
通勤や会社での拘束時間がまるまる浮くわけであり、その時間を、自分のやりたい仕事や趣味・娯楽に思う存分使うことが可能になる。このため、嫌なことを避けつつ、自分のやりたいことを自由にできる非常に恵まれた時間なのだが、しっかりした定年準備によって、やりたいことを見つけておかないと、せっかくの時間を持て余してしまい、非常にもったいないこととなる。
次の「住む場所」についてであるが、定年後は非常に自由度が高い。
年金+αの収入があればいいと考えると、「+α」は10万円くらいでも十分であり、それだとリモートでできる仕事や、或いは、移住先でのアルバイト等によっても達成は可能である。
定年後は、テレビ朝日の人気番組「人生の楽園」のような生活を実現することも可能なのである。従って、北海道に移住してスキー、ゴルフ、キャンプ三昧の生活を送ることもできれば、沖縄に移住してマリンスポーツや美しい海を眺めながらのスローライフを送ることも可能である。
或いは、自分又は配偶者の故郷に移住するという選択肢もある。
また、近年高騰した都心のマンションを売却して、首都圏の郊外の住宅に買い替え、多額の売却代金の残額を老後資金に充てるという戦略も取り得る。反対に、首都圏の郊外の広い一戸建てを売却して、都心の小ぶりなマンションに移住するという選択肢もある(こちらは購入資金を補填しなければならない可能性もあるが)。
今は、首都圏のそれなりの住宅価格が高騰しているので、首都圏の持家保有者にとっては、特に、「住む場所」を変える自由度は高まっていると言えるだろう。
もっとも、「住む場所」を変えるのには大きなリスクもある。
そもそも、十分夫婦間で合意が出来ていないと、生活環境が一変するので、引越しを機に揉める可能性がある。また、地方移住の場合も、全く新しい環境にすぐに馴染めるとは限らないので、事前に長期居住をしてテストをする方が無難だろう。そして、「+α」なら地方移住でも可能かも知れないが、仕事をする上では、都心に住んだ方が稼ぎやすいだろう。
ただ、持家を売却してしまうと後戻りができなくなってしまうが、自分の行きたい場所に旅行で長期滞在するのであれば、それほどリスクは無い(長期滞在の旅行代がかかるだけである)。私の場合は、こちらの方法を今、定年準備として吟味している段階である。
3番目の「付き合う人を変える」についても、サラリーマンの場合、定年によって自動的に変わる。それまでの会社関係の人達との付き合いが、バッサリと切れてしまうからである。
ただ、注意点は定年で「付き合う人」が変わるというより、「減る」と考えた方がいいかも知れない。定年後に、新たに「付き合う人」が勝手に、向こうの方から自分のところにやってきてくれるということはない。
自分から積極的に動かないと、定年後に新たに「付き合う人」は見つからないのである。
この点、私の場合は、定年後に「ひとり起業」に挑戦したいと思っているので、定年後は「個人事業主」との人脈を形成したいと思っている。ただ、これは結構簡単ではなく、現在ほとんど付き合いの無い個人事業主の人達のネットワークを探して、そこに入り込んで行かないといけない。
1つの手っ取り早い方法としては、個人事業主/会社経営者向けの高額セミナー(自己啓発系とかマーケティング系のもの。日帰りで数万円のものから合宿形式で数十万円のものまでいろいろある)に参加するというのがあるようだ。これも、もう少し定年が見えた段階、或いは、定年準備が進んだ段階で参加したいと思っている。
いずれにせよ、個人事業主達との人脈形成法については、今後も引続き検討して行く必要があると思っている。
以上の様に、定年後は人生を大きく変えることは可能だが、そのためには、結構周到な準備が必要であるということを意識する必要があろう。
3.年金+αの「+α」部分について考える
「+α」の収益源について
定年後、年金は生活費に充て、娯楽等に係るお金は別の収益源から捻出できると、それなりに余裕のある暮らしができるだろう。
この娯楽等に係るお金、要するに「+α」部分については、資産収入を原資にする場合と、労働収入を原資とする場合とがある。もちろん、資産収入と労働収入を併用するのでも構わない。
資産収入については、収益不動産を保有していると賃料が得られ、有価証券を保有していると金利・配当収入が得られる。
できれば退職金は元本確保しておきたいので、不動産や有価証券に振り向けたくないが、退職金とは別に、それまでに自力で貯めた老後資金や相続で得られた資産があれば、そこからの資産収入が期待できる。
例えば、余裕資金が1千万円あり、高配当利回り型の株式投信とか外国債券ファンド等に投資をすると4%程度の金融収益は期待できるだろうから、年間で40万円、月当たり約3万3千円、税引き後だと、月当たり約2万5千円を手にすることができる。
ただ、資産収入が無くても、ある程度の労働収入を得ることも可能である。
労働収入:アルバイト、ひとり起業等
労働収入について、もっとも手っ取り早いのは、アルバイトである。
ここは生活費のためではなく、趣味・娯楽に使う「+α」の部分であるので、アルバイトを始めてみて、嫌なら辞めればいいのでお気楽である。経済コラムニストの大江英樹さんによると、月に8万円働けば十分ということなので、これだとアルバイトでも十分できそうだ。
https://toyokeizai.net/articles/-/168843
しかし、実は定年後にアルバイトで月に8万円を稼ぐのはそれほど楽ではない。
何故なら、人手不足と言われるが、高齢者の求人は限定され、介護、清掃、警備関係に集中しているそうである。他に、「外食」系の仕事もあるが、選び放題ということでも無さそうだ。こういった仕事がフィットするのであれば問題無いが、嫌々アルバイトをするのは本末転倒なので、あまりお勧めできない。
そうなると、「ひとり起業」で月に8万円程度稼げればいいのだが、こちらは向き・不向きがあるし、稼げるようになるまで1年位を見ておかないといけないのでハードルは低くない。
もっとも、「月8万円」という金額に拘る必要は無いので、これが数万円でOKならば、アルバイトにせよ、「ひとり起業」にせよ、ハードルは下がるだろう。
ポイントは「自分のやりたいこと」(或いは「嫌ではないこと」)によって、お金を稼ぎ、そのお金を自分のやりたい趣味・娯楽につぎ込むことができれば、一石二鳥であり、定年後の生活をより充実化できることになる。
このため、プレッシャーを感じることなく、楽しくゲーム感覚で出来る仕事は見つけておきたいものである。これは、50代の定年準備の段階ではなく、副業や時間的な制約が大幅に減る再雇用時に動いてみても構わない。いずれにしても、少額でも得られる仕事を見つけておきたい。
4.定年後の理想の生き方を考えるには?
それでは、定年後の理想の生き方はどうやって探せばいいのだろうか?
現役サラリーマンの間に、漠然と考えても、意外と答えは見つからない。
この点、ブログで稼いでいた方から聞いた話だが、「理想の生き方」というのは漠然としているので、「人生を楽しむ」「生きていて楽しい」と思える人生について、まずは考えてみることである。
それでも、なかなか答えは浮かんで来ない。
その場合には、例えば、「過去5年間で特に嬉しいと思ったこと」を書き出してみると良い。
例えば、「子供が希望していた業界/会社に就職できた」、「家族旅行でハワイに行った」、「仕事で自分が関与したプロジェクトが成功を収めた」、「昔から憧れていたロレックスのデイトナをたまたま正規店でゲットできた」等、何でも構わない。そして、それらが嬉しいと思った理由を書き出してみると、共通点が見つかるかも知れない。
そこまでやっても、自分の理想とする定年後の暮らしがクリアになるとは限らないが、ここは大事なところであるので、定年準備段階から、時々考えてみたいところである。
5.理想の定年後を考えるタイミングと小道具
理想の定年後を考えることは大切だと言っても、50代の現役サラリーマン時代は、それなりに仕事の悩みとかもいろいろとあり、特に考えないまま定年を迎えてしまうというリスクもある。
そのため、何らかの機会に頑張って、考え始める必要がある。
例えば、4月の新年度入りしたタイミング、4月を過ぎると自分の誕生日、自分の誕生日を逃すと年末からお正月休みの間に、考えてみるのがいいだろう。
その際の小道具としておすすめなのは、そのために、モレスキンとか、LAMYのような高級なノートを買っておくことである。だいたい1冊4千円位する。通販でも買えるし、現物が見たければ、伊東屋とかデパートの文具売り場とかに行くと良い。
そうすると、買ったモレスキンを自宅の机の上にでも置いておくと、忘れることは無いだろうし、せっかく買ったのだから使わないと勿体ないと感じるからである。
また、ノートが立派なので、落書きのような雑な扱いにはなりにくいだろうから、いろいろ考えて書き出すという作業も期待できる。
定年準備には、老後資金の形成、定年後の仕事の計画、定年後に向けた趣味・娯楽の探求等、やるべきことはいろいろあって大変だが、根っこの自分の価値観・幸福感はつかんでおきたいところである。