定年後と読書、「成瀬は天下を取りにいく」(宮島未奈著)を読んでみ

読書は定年後の娯楽の王道

 定年後は、時間はたっぷりあるし、普通に生活できる程度のお金はあるだろう。

このため、娯楽を楽しむには非常に良い時期である。

 そして、特に読書は、お金がかからずに楽しむことが出来る娯楽である。

現役サラリーマン時代には時間や気持ちの上での余裕がなく、じっくりと読書を楽しめないかも知れないが、習慣を変えるのは簡単では無いので、定年準備の一環として、50代のうちに少しずつ読書を始めてみてはどうだろうか? 

何故、「成瀬は天下を取りにいく」(宮島未奈著)を読もうとしたのか?

 私は50歳を過ぎたので、定年準備を始めた段階であるが、特に読書家と言えるほど、本は読んでいない。好きなジャンルは国内物の本格ミステリーで、「このミステリーがすごい」系のランキング上位作や話題作を時々読んでいた程度である。

 今は定年後の読書に備えて、本の幅を拡げようとしている段階であり、本屋大賞のノミネート作品もチェックするようになった。その中で、「成瀬は天下を取りにいく」は2024年の本屋大賞受賞作ということで、興味を示すようになった。

 私は今まで「本屋大賞受賞作」というのはそれほど刺さるワードでは無かったが、本の売れ行きが尋常じゃなく、あちこちの書店で、主人公の「成瀬」と思しきイラストが描かれたポスターを見たので、徐々に「これは読んでおいた方がいいかな」と思うようになったのだ。

 私が買った本の帯には「90万部突破」とあり、つい最近、100万部を突破したそうである。(なお、この部数は続編の「成瀬は信じた道をいく」を合わせたシリーズ累計の部数である。)

 出版不況と言われ、YouTubeTikTok、ネットフリックス等の動画に押されて、本の売行きは減っていく傾向にあり、町の本屋も減っていく。そういった厳しい環境の中で、ミリオンセラーというのは本当に凄いと私は感心したのである。

 それから、Amazonとかの書評を見ると、「挑戦」「前向き」という単語がちらほら見られ、定年準備や定年後の若くないオジサン達こそ、こういう本を読んでパワーをもらった方がいいのかなと思ったのが、読んで見ようと思ったもう一つの理由である。 

「成瀬は天下を取りにいく」を読むことを躊躇した理由

 上記の理由から、さっさと読めばいいのだが、恥ずかしながらセコイ理由で、しばらく買うのを私は躊躇していた。

 私は、このブログでも、読者はお金がかからない楽しい娯楽ということで推奨していて、ちょっと前の名作(文庫化されたもの)をブックオフで500円で何冊か買うことを勧めている。

 図書館で借りて読めばタダなのだが、それだと、期限があるのでじっくり読みにくいし、タダということでまとめて借りたりすると結局積読で終わるリスクがあるからである。

その点、たとえ110円でも自分のお金を出して買えば、真面目に読むだろうし、自分の書棚を埋める満足感もあるので、私はブックオフで安く買って読むことが好きなのだ。

 その点、「成瀬は天下を取りにいく」は当然文庫化されていないし、価格は本屋で買うのより300円位しか安くない。そこで、値段が下がるまでしばらく待つかと思って様子見していたが、結局、2024年の本屋大賞なので年内に読みたいと思い、書店で買って年末に読むこととしたのである。 

「成瀬は天下を取りにいく」のストーリー

 本書は、主人公の成績優秀、運動神経抜群、非常に行動的で個性的な、成瀬あかりが、いろいろなことに挑戦して行く、中学生から高校生までのストーリーである。

 物語の舞台が滋賀県大津市というのが本書の特徴であり、西武大津店、膳所(「ぜぜ」という成瀬たちが住んでいる町の名前。JR西日本の東海道線(通称「琵琶湖線」)の駅名でもある。)、ミシガン(琵琶湖の観光船)、におの浜、江州音頭といったローカルな大津市絡みの名称が出て来るところが本書の隠れた魅力にもなっているようだ。

 そして、本書は6編から成る連作短編形式になっていて、非常に読み易い。

また、各短編の視点が、最初の2話が主人公成瀬の幼馴染の島崎視点で、4話は成瀬を苦手とする中学時代の同級生の大貫かえで視点、5話は成瀬に恋心を持つに至った広島の高校生の西浦君視点、そして6話は成瀬の視点で書かれているのが特徴である。 

感想 

「ありがとう西武大津店」

中学2年生の成瀬あかりは、「島崎、わたしはこの夏を西武に捧げようと思う」と夏休み前に幼馴染の島崎に話しかける。大津市唯一のデパートである西武大津店が閉店してしまうことになり、地元のテレビ番組の「ぐるりんワイド」に映るために、成瀬は毎日欠かさず、その放映時間に西武大津店に足を運ぶということだ。

(本の表紙の西武ライオンズのユニフォームを着ている女性のイラストはこの話をイメージしたものである)

 その過程で、島崎に加え、同じ中学の仲間も参加したり、途中で見知らぬ人に絡まれたり、親切にされたり、地方紙にとりあげられたり、いろんなことが起こるが、成瀬たちは淡々と日々西武大津店に通い続ける。

 ストーリー自体、それほど大きな展開や感情が揺さぶられるようなエピソードも無いが、成瀬の意思の強さ、地元愛、将来の野望といったものが見られ、私は何となくすがすがしい気持ちになった。

 書評で「前向き」「挑戦」という言葉が目立ったのが、何となく理解できた。

50代、60代のオジサン達が読んでも共感できる内容では無いかと私には感じられた。 

「膳所から来ました」

 「膳所」は、「ぜぜ」と読み、大津駅の隣の駅名であり、成瀬たちの地元である。

滋賀県、琵琶湖というと、観光地や地方を想像する読者も多いかも知れないが、膳所駅から京都駅まではJRでわずか10分ちょっと近く、それなりの都会(郊外)である。

 西武大津店詣での後、成瀬は突然、幼馴染の島崎にM-1グランプリで頂点を目指すと言い出し困惑させる。結局、漫才なので誰かを巻き込むしかなく、島崎と漫才コンビ「ゼゼカラ」を組むこととなる。「ゼゼカラ」というのは、「膳所から来ました」から命名した。

 本作では、漫才のネタを作って試行錯誤するプロセスが書かれており、非常に興味深い。

途中でアンタッチャブルのネタを参照するなどして、それなりに、ネタは形になっていく。

 また、中学校の文化祭に呼ばれるなど、奮闘する成瀬と島崎の姿が微笑ましい。

 この話も、目まぐるしいストーリー展開や、心が激しく揺さぶられるような描写こそ無いが、本気でM-1の頂点を目指して、淡々と挑戦して行く成瀬たちを応援したくなる。

こちらも、西武大津店の話と同様に、魅力のある作品と感じられた。 

「階段は走らない」

 何故かこの短編には基本的に、成瀬も島崎も登場しない。

大津市内のときめき小学校出身で、今は大阪でWeb関係のサラリーマンをやっているアラフォーの敬太が語り手で、地元の有力者で大津市内で弁護士をやっているマサルや、小学校時代の同級生たちの話である。

 大津出身の敬太達が、地元の西武大津店の閉店を寂しがる気持ちは理解できるが、何故、小学校の同窓会の実現に夢中になれるのか、理解しにくいところがあった。

 また、最初の2つの話が、前向きで元気で明るい中学生の女子の話であったことを踏まえると、それほど魅力は感じられなかったのが正直な感想である。 

「線がつながる」

 この短編は、中学校時代、成瀬を苦手としていた大貫かえでの視点で語られる。

さっきの短編では、オジサン達が中心の話だったので、成瀬たちが戻ってきた安心感がある。

 この短編は、高校の入学式の日から始まり、成瀬は県下一の進学校である膳所高校に進学したのである。そして、成瀬は何と坊主頭で登校してきたという事実が、語り手の大貫かえでから語られる。

 大貫かえでは、成績優秀だがガリ勉タイプで目立たないタイプであり、スクールカーストは決して高位ではないようだ。しかし、「東大が志望校」という共通点から、同じく地味目なガリ勉タイプの同級生の須田君との淡い恋愛系の話しが絡んでくる青春小説っぽい話である。

 ただ、さすがに50代や60代の、渡辺淳一先生の恋愛(エロ?)小説に慣らされたオジサン達からすると、この手の淡すぎる高校生たちの恋愛話はピンと来ない。(とは言え、一昔前に流行ったケータイ小説のように、いじめ、自殺、妊娠、出産という過激なシーンばかりの高校生たちの話しよりは、こちらのほうがずっと好きだが…)

 それでも、さすがに成瀬は存在感があり、最後には、本編の語り手の大貫かえでを成長させるあたりは面白い。 

レッツゴーミシガン

 このタイトルを見て、成瀬たちは海外旅行にでも行くのかと思いきや、「ミシガン」とは琵琶湖の観光船の名前である。

https://www.biwakokisen.co.jp/cruise/michigan/ 

今回の舞台は、大津市で行われている「かるた選手権」である。

成瀬は、膳所高校で競技かるた部に入部していて、持ち前の運動神経を活かして主力選手として活躍しているのである。

 そこに、かるた選手権に出場している広島の高校生の西浦君が成瀬を見て、恋心を抱くという爽やか恋愛系ストーリーである。

 西浦君のまわりくどい質問から、頭の回転の速い成瀬は、「そのような質問をするということは、西浦はわたしが好きなのか」と切り返すところは、成瀬らしさが現れていて良かったと思う。

 この話も、渡辺淳一先生に慣らされたオジサン達には、淡すぎて刺激が弱いかも知れないが、成瀬の存在感、淡々としたところが見られ、良かったと思う。

 また、琵琶湖の観光船の「ミシガン」に乗ってみたくなった。 

ときめき江州音頭

 本書の6作の連作短編のうち、最終回がこの話である。

遂に、物語は成瀬視点で書かれる。

 今回の舞台は、大津の「ときめき夏祭り」であり、高校3年生にもかかわらず、成瀬と島崎の2人は「ゼゼカラ」として、その実行委員に任命され、第3話で出て来たアラフォーの町の有力者であるマサル(弁護士)から、総合司会を任されるのである。

 ただ、幼馴染の島崎の家が父親の仕事の都合で東京に転勤するということになり、

何事にも動じなかったはずの成瀬が動揺するというストーリー。

 本書の最後のストーリーで、成瀬の弱点というか、高校生らしさも描かれ、成瀬の魅力が強まった感はある。それと同時に、扱いが非常に難しそうな成瀬にとって欠かせない存在であった島崎の魅力も間接的にクローズアップされる。読者の中には、結構、島崎推しがいるようだが、その理由がなんとなくうかがえた。 

全体的な感想

 タイトルに「天下」という言葉が入っていることから、もうちょっと、スケールが大きい話かと思っていたが、そういったストーリーではない。

 ただ、「ライトノーベル」「青春小説」という見方もある一方、中高年の読者からの指示が強いという話もある。成瀬の「挑戦心」「前向きさ」「自由奔放さ」がパワーを与えてくれるからだという。

 私の場合、全体的に、そこまでのパワーは得られなかったし、ミステリーの様な強烈なストーリー展開等はなかったが、前向きで元気になれる小説であることは理解できた。

 また、随所にちりばめられている大津市の描写にも惹かれ、大津や琵琶湖を訪問してみたいと思うようになった。

 なお、本作の中味とは直接関係ないかも知れないが、本書の表紙のイラスト(成瀬の姿)が秀逸で、キリッとした気の強そうな美人が書かれている。このイラストの見た目の良さも、本書の記録的な売り上げに貢献したのではないかと思うが、どうなのだろうか?

 本書の続編の「成瀬は信じた道をいく」では、成瀬は京都大学生になったようだが、近いうちに読んで見たいと思っている。