定年後の生活は、実際に経験しないとわからないことが多い
私は50代サラリーマンであり、定年後に向けた準備活動を開始しているが、
対象は「お金」と「娯楽」が中心である。これらは「物的な」ものであり、定年後の生活に対する「心の準備」というものは手薄になっている。そういった、定年後の暮らしの心理面については、実際に体験してみないと気付かないことも多いからだ。
定年後の暮らしと言うと、「お金が足りるのか?(年金2千万円問題等)」とか「居場所が無い」といった暗めの話も多いが、先日、定年後に感じる幸福感についてのコンテンツを見つけたところ、非常に教務深い内容であった。
<ブログ>
<YouTube>
https://www.youtube.com/watch?v=ruQUNy2t2p4
定年後に感じることができる日常的な幸福感
このブログとYouTubeの運営者は、2025年4月時点で63歳で、年内に64歳になる。
この方は、外資系企業と国内系企業で働き、60歳でサラリーマンは止めることにし、再雇用は選択しなかった。退職後は、飲食店でのアルバイト、情報発信による収益、金融収益等を中心に生活されている。
彼は60歳でサラリーマンを卒業したことは後悔しておらず、以下のような日常を至福の時と感じている。
①平日の午前中のモーニング・サービス
彼は平日の午前中は、どこか喫茶店か何かで、モーニング・サービスをゆっくりと楽しんでいる。ゆっくりと新聞を読んだり、ネットニュースやYouTubeを見たり、朝食を取りながら、朝の優雅な時間を満喫されているそうだ。
何故、彼がこの時間帯を至福の時間と感じることができる理由は、「サラリーマン時代と違って、満員電車での通勤をしなくていい」という事実を、かみしめることができるからである。「優雅な朝の時間」という面だけでなく、「不快な通勤をしなくていい」という、嫌なことをしなくても良いという嬉しさを同時に感じていることがポイントである。
②平日昼間のランチ酒
彼は、平日の昼間のランチは外食ではなく、家で自分で作って食べることが多いそうだが、この時、お酒を飲むことを楽しんでいる。
この時も、朝のモーニング・サービスと同様に至福のひと時と感じることができる理由として、「拘束されていて不自由なサラリーマン時代には無理なこと」を楽しめていることを十分認識しているということがある。
③やりたいことがある
これは、以下の④の項目とも重なるが、定年後の自由な時間を持て余すのではなく、それを自分のやりたいことに費やせるということに起因する幸福感である。
彼の場合、ブログ、YouTube、SNS、note等を使って、定年後の生活にフォーカスした情報発信をしている。ここからアフィリエイトやアドセンス収入も得ているのだが、お金のためというより、情報発信自体にやりがいを感じて楽しんでいる。情報発信を通じて多くの人に有用な情報を提供して喜んでもらえたり、SNSを介して、人とつながれることが楽しいのだという。
こういった活動はサラリーマン時代であっても、副業の範囲では可能なのだろうが、ブログの執筆やYouTubeの編集には時間を要するので、それらを自由にやれるというのは、至福の時なのである。
④行くところがある
彼は週に20時間強を目途に、飲食店でアルバイトをしている。
これは、アルバイト代を稼ぐということだけではなく、社会保険料の観点から、この形態が望ましいと考えられているようである。
飲食店のアルバイトと言うと、事務系サラリーマンには敬遠する人もいるかも知れないが、彼の場合は、好きで自分にフィットした仕事と感じておられるようなので、この点は問題は無い。
これは、上記③と合わせて、定年後も自分の「居場所」が明確にあるということである。
定年後の最も大きな課題の1つに「居場所の確保」があるようだが、彼はこの点をクリアしており、自分自身でもその有難みを十分認識されているようだ。
サラリーマン時代とは違って、「やりたくないことはやらない」で、自分のやりたいことを自由にやれるというのは、非常に恵まれた状況であり、彼自身もそれを「至福の時」と認識できているのはうらやましい話である。
⑤自由に時間を使える
彼は旅行が趣味で、既に47都道府県は制覇したらしい。
そんな彼は今でも自由な時間を活用して、じっくりと時間をかけて、次の旅行の計画を立て、ゆっくりと長い期間旅行を楽しむことにも幸福感を感じておられるようだ。
旅行は、定年退職者にとって、もっともポピュラーな趣味・娯楽の1つと思われるが、彼は、サラリーマンであればできなかったという点を十分意識した上で楽しんでおられるので、なおさら、幸福感は高まるようである。
「嫌なことをやらなくてもいい」ということの有難さを認識することが大事
「定年後にやりたいことが見つからない」ことを嘆く人はいるが、そうであれば、
「嫌なことはやらなくてもいい」という有難みを認識することが重要だと思う。
特に積極的にやりたいことが見つからなくても、嫌なことをやらなくていいというだけで、十分恵まれた楽しい日常であるということは認識しておきたいと私は感じた。
これができれば、定年後は「退屈・暇」とネガティブに捉えるのではなく、
「完全な自由な生活」とポジティブに考え、日々楽しい生活をおくることができるのではないだろうか?
小さな幸せやリラックスできる時間や事象を見つけ、それに対する満足感を高めようとするマインドを持ちたいものである。